私は大学を卒業後約27年間、広告写真を作成する写真事務所で働いていました。
途中で法人化し、最後の5年は代表取締役として仕事に携わってきました。
昨年、会社を解散したのですが、その理由について振り返ってみます。
納品媒体の変遷
私が仕事に就いたころは、広告写真の世界はまだアナログで、蛇腹のついた4×5インチのホルダーにシートタイプのフィルムを詰めて撮影を行っていました。
今から20年ほど前に、業界にもデジタル化の波が訪れ、生き残るためには費用を投じてデジタルカメラやMAC、photoshopを導入するしかありませんでした。
デジタル化に伴い、納品媒体も変化していきます。
アナログ時代は、元の写真をデュープ(duplicate)してシートタイプのフィルム(ポジ)で納品していたものが、データをCDに書き込んで納品するという方法に変わり、さらにはデータをアップロードして納品するという形態に変化しました。
シートフィルムの複製手数料は写真1枚ずつに対して発生していたのですが、CD-Rにデータを書き込む納品媒体となって同じ手間賃では申し訳なくなり、さらにデータのアップロードでは手数料を請求することができなくなりました。
当然、売り上げにも響きます。
一億総カメラマン時代
時代が変わり、カメラが小型化し、みんなが当たり前のようにスマートフォンを持つようになりました。
「なんとかマジック」のようにアプリを使って簡単に綺麗に加工した画像が作れるようになると、わざわざ高額な費用を投じて画像処理をすることに将来性はあるのかと不安が生じます。さらに今後AIの技術開発が進むと、これらの作業はコンピューターに取って変わる可能性が大いにあります。
コロナ禍による影響
コロナ禍において、企業経営に苦戦を強いられると、真っ先に経費削減されるのは広告宣伝費ではないでしょうか?
広告宣伝に使用される画像が前年度と同じであってもさほど影響がないからです。さらに想定外にコロナ禍が長引いたことも影響しました。
子供の中学受験
子供たち(双子)が中学受験にチャレンジすることを決意したのは、コロナ禍になる前年でした。
6年生も後半になり、数カ月先に迫った受験本番に向けて、仕事をしたまま受験をサポートすることは難しくなってきました。いろんなことを考慮し、後悔しないためにも思い切って仕事を辞めるという決断を下しました。
新たな挑戦
広告業界を取り巻く環境の変化や未来の展望、さらに子供たちの受験を機に悩みに悩んで前職を辞めましたが、子供たちの子供たちの中学受験も無事に終わり、そろそろ仕事を探そうかとハローワークに行きました。
他の人より少し得意なことは何だろうかと考えた時に、英語を使った仕事がしたいと思いました。
「英語を使う仕事 翻訳」で検索すると、地元の特許翻訳事務所の求人にばかりヒットします。その時初めて特許翻訳に需要があることに気づきます。
しかし特許翻訳なんて経験もありませんし、特許明細書すら目にしたことがありません。
図書館で特許翻訳について資料を集め、調べるうちに、挑戦してみたいと思うようになりました。
これまで英語を勉強してきて、人生の集大成として自分に誇れる仕事がしたいと思いました。
私立中学はお弁当も要るし、存外に行事が多く、さらに息子が起立性調節障害で不登校状態なので、自分の勉強のために使える時間が想像以上に取れなくて、苦戦していますが、あきらめずに前進してきたいです。